2009/07/24

幸田文 「しつけ帖」

こんばんは。月岡です。

家には娘用の小さな三輪車とおもちゃの自動車があるのですが、娘は私にどちらかに乗れと言います。できるだけ要望を叶えたいと思うのですが、どちらの乗り物も私には小さすぎで、乗っているとお腹や足が痛くなるのです。「今日はうなぎを食べに行こう。あっちだよ」と娘は言い、本日も家の中をドライブしました。

先日、幸田文の「しつけ帖」を読みました。文が父である幸田露伴から家事について教えてもらったことを文章にしていることは知っていましたが、私はまったく読んだことがありませんでした。今回、初めて読みまして、その文章の簡潔さに、文本人のさっぱりとした性格がにじみ出ているように思います。それよりも、興味深かったのは、明治の男である露伴が実に様々な家事について、一家言を持っていることです。露伴は兄弟の多い、貧困の中で育ったので、掃除、洗濯、炊事、まき割りと何でもやらされ、その中で能率よく行うことを学んだようなのですが、その一つ一つが徹底しています。私も掃除などは小学生からやってはいますが、露伴のこだわりからすると、自分が如何にいい加減であるかを思い知ります。文はこうした父を持って、自分の掃除の仕方を一々糾明されて大変だったと思いますが、それにも係らず文章にでてくる父露伴に対する感情の多くが尊敬です。父に認められたいという気持ちで一杯なのです。親と子のあり方に正しいというものはないと思いますし、私は露伴のようなことをとても教えてあげることはできませんが、どこか娘が尊敬してもらえるような一面を持っていたいものだと思いました。

この文章の中で、私が「さすが」と思ったのは、文が知った家の取込事を手伝って、何人かの同じ年頃の娘さんのいる前で、そこの主人に褒められますと、他の娘さんのお母さん方が主人がいなくなった後、台所以外のことは何もできない、と言われ悔しかったと露伴に告げたところ、
『本当のことをいわれたときは、素直に、仰せの通りといえばいい。恥ずかしいと思ったのなら、それもそのままお恥ずかしゅうといい、ご指摘いただきましたのをよいたよりにいたしたく、何卒ご指導を、万事すなおに、本心教えを乞うて、何にせよ、一つでも半分でも覚えて取る気になれば、よかったではないか。水の流れるように、さからわず、そしてひたひたと相手の中に広がっていけば、カッと抵抗して高ぶる惨めさからだけは、少なくとも逃れることはできた筈だと教えてくれ、それを教えておかなかったのは、親の手落ちで、すまないことをした、といった。今後も人中でねじられることもあろうが、もうこれからは慌てるな。刺されたと思ったら、まず一つ二つと数えて、気息を整えるうちに、受け太刀がわかる、という。』
こうしたことを教えられるような人間には私はまだまだずっと遠いと思ったしだいです。

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