2009/12/13
中村天風 「積極性と人生」をきいて
こんばんは。月岡です。
今日は天気が良かったですし、年末も近づいているので、大掃除をしました。娘はお手伝いをしてくれましたが、途中から飽きてしまったようです。そこで、2時過ぎごろから散歩に行きました。娘は最近走るのが好きな様で、「気持ちいいね。」と言いながら散歩中ずっと走っていました。「パパも走って。パパ走れないの。」と私にも走ることを強要するのには少々閉口しましたが。
中村天風講演録CD「積極性と人生」をききました。私は天風ファンではありませんが、何冊か本を読んだことはあります。しかし、肉声は初めて聞きました。かなりだみ声ですが、しっかりした力強い声です。この講演録は、積極性の重要性が多面的に語られていて、とても面白く興味深く聞けます。天風氏の本を読んだことがある人はもちろんのこと、無い人でも十分に理解できるような平易な言葉で語られていますので、ご興味のある人は聞いてみてください。
このCDを聞いた後、天風氏の本をペラペラと久しぶりに読みました。その中で一つご紹介いたします。CDもそうですが、氏の言葉はユーモアたっぷりのべらんめぇ調です。そこが魅力の一つです。
「生きている以上はみだりに死ぬことは許されない。と同時に、みだりに生きることも許されない。
ところが、おおむね多くの人々はみだりに生きているから、人生の三大不幸という病や煩悶や貧乏というものに侵されがちだ。だから、病、煩悶、貧乏というのは、この論理から結論すると、自ら招いたことになりますね。
現在、病をもったり、煩悶をもったり、貧乏な人は、ここいらで反省しなきゃ駄目だよ。「ああ、そうか、私は貧乏神と縁が切れない人間と思ったら、そうじゃなかった。自分で招いたことなんだ。」
そうですよ。あなた方のほうでもってウインクを与えるから、貧乏神が来るんだ。変なものにウインクを与えなさんなよ。
「玉磨かざれば光なし」の歌にもあるけど、石も磨けば玉になることがあることを忘れちゃ駄目だ。「私なんか駄目だ」と捨てちゃ駄目だ。百歩譲って、いくら磨いてても玉にならないとしてもだよ、磨かない玉よりはよくなるぜ。ここいらが非常に味のあるところじゃないか。」
今日は天気が良かったですし、年末も近づいているので、大掃除をしました。娘はお手伝いをしてくれましたが、途中から飽きてしまったようです。そこで、2時過ぎごろから散歩に行きました。娘は最近走るのが好きな様で、「気持ちいいね。」と言いながら散歩中ずっと走っていました。「パパも走って。パパ走れないの。」と私にも走ることを強要するのには少々閉口しましたが。
中村天風講演録CD「積極性と人生」をききました。私は天風ファンではありませんが、何冊か本を読んだことはあります。しかし、肉声は初めて聞きました。かなりだみ声ですが、しっかりした力強い声です。この講演録は、積極性の重要性が多面的に語られていて、とても面白く興味深く聞けます。天風氏の本を読んだことがある人はもちろんのこと、無い人でも十分に理解できるような平易な言葉で語られていますので、ご興味のある人は聞いてみてください。
このCDを聞いた後、天風氏の本をペラペラと久しぶりに読みました。その中で一つご紹介いたします。CDもそうですが、氏の言葉はユーモアたっぷりのべらんめぇ調です。そこが魅力の一つです。
「生きている以上はみだりに死ぬことは許されない。と同時に、みだりに生きることも許されない。
ところが、おおむね多くの人々はみだりに生きているから、人生の三大不幸という病や煩悶や貧乏というものに侵されがちだ。だから、病、煩悶、貧乏というのは、この論理から結論すると、自ら招いたことになりますね。
現在、病をもったり、煩悶をもったり、貧乏な人は、ここいらで反省しなきゃ駄目だよ。「ああ、そうか、私は貧乏神と縁が切れない人間と思ったら、そうじゃなかった。自分で招いたことなんだ。」
そうですよ。あなた方のほうでもってウインクを与えるから、貧乏神が来るんだ。変なものにウインクを与えなさんなよ。
「玉磨かざれば光なし」の歌にもあるけど、石も磨けば玉になることがあることを忘れちゃ駄目だ。「私なんか駄目だ」と捨てちゃ駄目だ。百歩譲って、いくら磨いてても玉にならないとしてもだよ、磨かない玉よりはよくなるぜ。ここいらが非常に味のあるところじゃないか。」















